私が思う理想の養護教諭像

教員採用試験でも、「あなたの理想とする養護教諭は、どんな養護教諭ですか?」という質問をされますが、そのように聞かれて、すぐに答えられる方は多くはないかもしれません。

私も、学生時代や新任の頃は、なかなか答えを見つけることができず、追い求める理想がわからないことに苦しんだ時期がありました。

悩みながらも、実際に養護教諭として働くと、見えてきたことがたくさんありました。

学生のころから、「私が目指す養護教諭ってなんだろう」と自問自答し、長い間模索しながら、2年目でようやく自分の理想とする養護教諭像を見つけることができました。

私は、仕事を通じて、子どもに信頼される養護教諭を目指していました。

子どもに信頼されるためには、子どもの模範となり、子どもに安心感を与え、子どもに尊敬されることが重要だと考えます。

このページでは、その一つひとつについて、自分なりの解釈について説明します。

私は小学校勤務であったため、主に対児童の内容になりますが、中学校や高等学校、幼稚園、特別支援学校の子どもたちにも通ずるところがあると思います。

ぜひ、参考にしてみてくださいね。

子どもの模範となること

教育に携わる皆様ならよくご存知かと思いますが、「学ぶ」と「真似る」の語源は同じだと言われています。

子どもは、身近な大人を見て、真似をし、学びます。

私たち教師は、子どもにとって最も身近な大人のうちの一人です。

誰だって、「かっこいい!」と思う大人についていきたいものですよね。

私は、子どもとの間に信頼関係を築くために、子どものお手本となるような養護教諭を目指していました。

保健教育で子どもに伝えたことは、自分も行う

私は、保健教育で子どもに伝えたことは、自分も行うようにしていました。

教える側の教師に行動が伴っていないと、説得力がないからです。

たとえば、「けがをしないために、廊下は歩きましょう」という内容の保健教育を行ったとします。

保健教育の内容をきちんと理解し、「ぶつかると危ないから、廊下を走らないようにしよう!」と意気込む子どもたちが、教えた側の教師が廊下を走る姿を見たら、どう思うでしょう?

きっと子どもたちは、「『廊下は歩きましょう』と言った先生が、歩いていないじゃないか…」と、がっかりしてしまいますよね。

安全やルールを守るためはもちろんですが、子どもに教えた内容に反してしまっては、元も子もありません。

「医者の不養生」ということわざがありますが、これは、口では立派なことを説き、それが正しいことだとわかっていながら、自分では実行しないことのたとえです。

「養護教諭の不養生」にならないように、保健教育で子どもに伝えたことは、自分も行うことで、保健教育に説得力を持たせていました。

子どもと一緒に行動する

私は、どんなときも、子どもたちの上に立つのではなく、子どもたちの前や中心に立ち、時には同じ目線に立つようにしていました。

子どもたちの前や中心、同じ目線に立つということは、子どもたちと同じように行動するということです。

子どもに正しいやり方を伝え、子どもに不信感を抱かせず、自分自身が気づくために、指導をするときは、子どもと同じように行動していました。

理由1:子どもとたくさん関わることができるから

1つ目の理由は、子どもとたんさん関わることができるからです。

共同作業がポジティブな感情を生むことはよく知られていますが、これは子どもとの関係においても当てはまります。

子どもたちは、そっけない先生よりも、一緒に笑ってくれる先生、一緒に遊んでくれる先生、一緒に悩んでくれる先生に対して好感を持つことが多いように思います。

子どもたちにとって、「一緒に」行動することは、とても大切です。

また、養護教諭にとっては、健康観察という意味でも、子どもと一緒に行動することは大切です。

理由2:子どもに正しいやり方を伝えることができるから

2つ目の理由は、初めに先生がやって見せることで、子どもに正しいやり方を伝えることができるからです。

大人対大人の場合、たとえばアルバイト先で、研修期間の新人の作業員に対して基本的な業務を教える際、上司は事前にやり方を伝えます。

新人に対して何も教えないまま、「さあやってみなさい」と無茶を言う上司は、あまりいないですよね。

もちろん、先生と子どもは上司と作業員という立場ではありませんが、わからない相手に教えるという意味では同じです。

子どもに正しいやり方を伝えるためには、子どもの前に立ち、まずは実際にやって見せることが大切です。

理由3:口先だけの指導では、子どもに不信感を抱かせるから

3つ目の理由は、口先だけの指導では、子どもに不信感を与えるからです。

高学年にもなると、先生の指導に行動が伴っていないことを見抜き、疑問を覚える子どももいます。

私が働いていた学校では、トイレ掃除やごみ捨てなど、誰もやりたがらないことを率先して行う担任の先生がいました。

そんな担任の先生の姿に習って、クラスの子どもたちが、熱心に掃除に取り組むようになったことをよく覚えています。

口だけ番長にならないためにも、子どもの中心に立ち、行動で示すことが大切です。

理由4:気づかなかったことに、気づくことができるから

4つ目の理由は、子どもと同じように行動することで、気づきがあるからです。

たとえば、掃除の時間に「廊下のごみを集めましょう」という指導をしたとき、子どもたちはなかなかうまくできないことがありました。

子どもたちは一生懸命やっていましたが、ごみをうまく集められなかったのは、ほこりやちり、砂などがとても細かったこと、ほうきの毛先が割れていたこと、ちりとりが重かったこと、地面がぬれていたことなど、物理的な原因が隠れているからでした。

子どもに伝えたことを自分でやってみて、「確かにむずかしいな」と感じました。

実際にやってみてみないとわからないことは多いので、子どもと同じ目線に立つことが大切です。

ルールや約束を守る

私は、学校のルールや子どもとの約束は、必ず守るようにしていました。

教師がルールや約束を破ってしまうことが何度も続くと、子どもは失望し、子どもの心はいつの間にか離れていってしまうからです。

たとえば、「時間を守りましょう」と指導をする先生が、授業の開始時刻や終了時刻を守らないと、子どもたちは混乱してしまいますよね。

「先生は忙しいから、ルールや約束を守れなくても仕方がない」では、話の筋が通りません。

確かに、緊急の対応が入って、「どうしても」というときは、ルールや約束の範囲を超えてしまう場合はありましたが、基本的には守るようにしていました。

教師として子どもを指導するからには、自分の言葉や行動に責任を持ち、振り返ることが大切です。

このように、子どもを失望させないために、教師という立ち位置に驕らず、ルールや時間を守っていました。

子どもに安心感を与えること

子どもとの間に信頼関係を築くためには、子どもの緊張をほぐし、安心感を与えることが重要です。

緊張状態では、心身にストレスがかかってしまいますよね。

子どもは、癒しや安らぎを求めて保健室に来ます。

子どもが保健室に来たとき、取り付く島もないほどにピシャリと対応してしまっては、子どもの居場所がなくなってしまいます。

私は、子どもと信頼関係を築くために、子どもがほっとするような養護教諭を目指していました。

笑顔で余裕のある対応をする

私は、子どもと接するときは、笑顔と余裕を見せることを心がけていました。

険しい顔や無表情で忙しそうにしていると、子どもに冷たい印象を与え、近寄りがたく感じさせてしまうからです。

笑顔でいると、印象や柔らかい雰囲気を感じさせ、親近感を持ってもらうことができます。

余談にはなりますが、いつもにこにことしていることで、怒った顔とのギャップが生まれ、「保健の先生が叱るときは一大事」と子どもに認識してもらうことができます。

また、「養護教諭は暇に見せるのが仕事」と言われるように、子どもがいつでも声をかけやすいような環境づくりも大切です。

大人でも、忙しそうな人よりも余裕のある人の方が話しかけやすいですよね。

このように、子どもを温かく迎え入れるために、笑顔で余裕のある対応を心がけていました。

人として、子どもを対等な存在として接する

私は、当たり前のことですが、人間として対等な立場であることを忘れないようにしていました。

子どもに威圧感を与えてしまっては、安心させることができないからです。

先生にとって、子どもは決して支配する対象ではありません。

しかしながら、先生は絶対的な存在と認識している子どもも少なくありません。

確かに大人である教師は、子どもたちよりも長く生きており、経験も豊富ですが、だからといって教師のほうがえらいというわけではありません。

このように、学校では、「先生」と呼ばれる私たちですが、子どもたちに対して威圧的にならないように、同じ人間として対等であることを忘れないようにしていました。

必要に応じて体に触れる

私は、必要に応じて子どもたちの体に触れ、スキンシップをとるようにしていました。

スキンシップをとると、子どもを安心させる効果があるからです。

たとえば、学校に来づらい子どもと教室まで手をつないで歩いたり、泣いてる子どもの頭をなでたり、うずくまっている子どもを抱き上げたりすることがありました。

他にも、おなかが痛いと言って頻回に来室する子どもに対し、いつもおなかのマッサージをしていたのですが、マッサージをした途端に元気になることがよくありました。

マッサージは、その子にとって必要な手当てだったのです。

時間をかけて丁寧に扱うことで、子どもに「自分は大事にされているんだ」と感じてもらうことができます。

また、救急処置にあたり、触診を行うという意味でも、子どもの体に触れることは大切です。

たとえば、子どものおなかに直接触れることで、腸の動きや腫れを確認し、判断材料にすることができます。

実際に、激しい痛みを訴えて保健室に来室した子どもに対して触診を行ったところ、虫垂炎の疑いがあったため、緊急で病院を受診しました。

診察の結果、で虫垂炎と診断され、手術が必要になったのですが、問診だけで便秘や下痢だと判断せずに、触診を行って本当によかったです。

もちろん、触れることで嫌な思いをさせてしまっては本末転倒なので、必ず本人の了承をとった上で行うことが大切です。

このように、子どもを安心させるために、また、触診を行うために、必要に応じて体に触れるようにしていました。

子どもに尊敬されること

子どもには、「この先生はどこまで許してくれるのか」を探るために、わざと先生を困らせるようなことをして反応をうかがう、試し行動がよく見られます。

特に新転任である場合や、子どもと年が近い場合は、先生に対する試し行動は多くなります。

子どもにとって、養護教諭は安心できる存在です。

養護教諭は、その性質上、甘えに

しかし、安心させることと甘やかすことを混同させないようにすることは、養護教諭の難しさの一つです。

私は、子どもと信頼関係を築くために、子どもと正しい距離をとれる養護教諭を目指していました。

堂々とした対応をする

私は、子どもと接するときは、堂々とした対応を心がけていました。

先生が自信がなくおどおどとした態度では、子どもも迷ってしまうからです。

人を含め、動物は本能的に強いものについていきます。

自信のある様子を示すために、ゆっくり、はっきりと声で話す、背筋を伸ばす、まっすぐ目を見るというった工夫をしていました。

これは、教員採用試験の面接試験でも特に気を遣っていたことです。

このように、子どもを迷わせないために、堂々とした対応を心がけていました。

一貫とした対応をする

私は、子どもと接するときは、一貫とした対応を心がけていました。

これには、二つの意味があります。

クラスや学校のルールや約束を、保健室でも適用する

一つ目の意味は、クラスや学校のルールや約束を、保健室でも適用するということです。

担任の先生が許さないことを養護教諭が許してしまうと、子どもは人によって態度を変えるようになってしまうからです。

たとえば、私が働いていた学校では、「緊急の場合を除いて、保健室に行くときは担任の先生に伝えること」という約束がありました。

保健室に来た子どもに対し、「担任の先生は保健室に行くことを知っていますか?」と聞くようにしていました。

養護教諭は、学校の中で少し特殊な立ち位置であるかもしれませんが、教育者として、チーム学校として、クラスや学校の方針がずれることのないようにしなければなりません。

このように、子どもが誰に対しても態度を変えることのないように、一貫とした対応を心がけていました。

ルールや約束に、例外はない

二つ目の意味は、ルールや約束は、基本的には例外はないということです。

問題行動が見られたとき、指導をしたりしなかったりということをしてしまうと、抜け道ができ、子どもに隙を与えてしまうからです。

たとえば、保健室で大声を出したり、走り回ったり、備品を勝手にさわったりすることは、多くの学校で注意される行動だと思います。

はじめは厳しく指導をするものの、段々慣れてきて指導をしなくなると、子どもたちに「あのときは許してくれたのに!」と言われてしまいます。

「ダメなものはダメ」という姿勢が大切です。

このように、子どもに隙を与えないために、一貫とした対応を心がけていました。

ぶれない軸を持ち、クラスや学校のルールや約束は保健室でも適用され、基本的には例外はないと示すようにしていました。

ただし、子どもの様子や学校の状況によって必要な支援は異なりますので、絶対に例外を許さないというわけではありません。

毅然とした対応をする

私は、子どもと接するときは、毅然とした対応を心がけていました。

たとえ理由があったとしても、人を傷つけることを許してしまうと、子どもが大義名分を得て攻撃的になってしまうからです。

たとえば、AさんのグループがBさんをいじめていることについて、保健室でAさんと話すというケースがありました。

Aさんは状況を説明するとき、「だって、Bさんは私の大事な筆箱を壊したんだもん」と泣きながら訴えました。

私は、Aさんがその筆箱をとても大切にしていたことを知っていたので、壊されたことが嫌だったことはわかりますが、どんな理由があっても、いじめが許されることはありません。

Aさんの心のケアを行いながらも、「気持ちはわかるけど、いじめは絶対にしてはいけない」ということを伝えました。

このように、どんな理由があっても人を傷つけることのないように、毅然とした対応を心がけていました。

まとめ

私は、仕事を通じて、子どもに信頼される養護教諭を目指していました。

信頼している先生の言葉には重みがあり、指導をするときはもちろん、褒められたり叱られたりしたときに大きな効果が期待できます。

人間として、大人として、先生として、子どもの模範となり、子どもに安心感を与え、子どもに舐められないことが大切だと考えます。

これらのことを気を付けるようになってからは、子どもと信頼関係を築くことができたのではないかなと思います。

子どもたちは、本当に先生の一挙一動をよく見ていて、こちらが思っている以上に鋭く敏感です。

教師は、プロとして、子どもの人生において大切な時期にかかわっていることを自覚し、責任を持つことが大切です。

私の理想の養護教諭像は、教員採用試験後や養護教諭としての勤務を経て、変化していきました。

このページは私の個人的な考えをまとめたものですが、みなさんも、自分にとっての理想の養護教諭増を見つけていただければいいなと思います。